鯨がいて人がいて
INTRODUCTION
contents

4月2日の夜。
私は仕事を終え、大阪・JR天王寺駅のホームに立っていた。
少し早めに着いたホームの自動販売機で、いつもは買わない甘い缶コーヒーを買って飲んだ。
あの電光掲示板に書いてある特急電車が、和歌山県・太地町から彼女を乗せて今、こちらに向かっている。
彼女が、1人で出席していた、くじらの博物館・開館50周年記念式典から帰ってくるのだ。

1月末に、私たちが応募したものが公式ロゴマークとして採用される連絡を受けました。

本当のことを言うと…、
私は、選ばれる自信がありました。
でも、根拠のない自信だけに、もろく崩れ落ちる日々も、同じだけありました。
だから、私はとても嬉しかった。

それから、ロゴタイプの制作、レギュレーションの制作など、
彼女は毎日の仕事の忙しい中、相変わらず手際良く丁寧にそれらをこなしていきました。

特急電車からホームに降り、私を見つけたときの彼女の表情は、
心浮かれて帰ってくる感じなのかな?
いつも通り落ち着いた感じなのかな?
平日で一泊二日の慌ただしい日程だったこともあり、疲れた表情で帰ってくるのかな?
片手で副賞のオブジェを誇らしく高らかに挙げて、サンバを踊り歌い叫びながら…、なんてことはないだろう。

それからきっと、何度も電話やメールでやり取りをしていた、
博物館のスタッフの「たまちゃん」(私たちが親しみを込めて勝手にそう呼んでいた)が、
実際に会ってみてどんな女性だったのか?や、
泊まったホテルはどんなだったのか?や、
食べたものはどんなだったのか?の話もするのだろう。

私は、この『鯨がいて 人がいて』というコンテンツを終わらせるのに、
5年半もの歳月がかかりました。
かかり過ぎました。

毎回、相変わらずの内容の薄い文章で彼女に申し訳なかったし、
肩身も狭かったし、続けていく難しさ、終わらせる難しさも知りました。

その中で、私が手にしたものは?
そして、彼女が手にしたものは?
それはまだ分かりませんが、
私たちの手から旅立ったロゴマークが、
たくさんの人に愛されるロゴマークになってほしい、と心から願います。
私としては、30世紀とそれ以降も残ってほしいと希望しています!!

彼女は今度、車の教習所でペーパードライバー講習を受講するらしい。
私は、彼女が運転することを、非常に心配している。
出来れば、車なんてずっと運転しないほうが私は安心する。

あと2分後には、特急電車はホームに着く。

これからを、
愛をこめて、
迎えよう。

junny